易京に散る白馬


 大軍に包囲された公孫サンはさすがに焦り、息子を使者として黒山賊に援軍を頼む一方反撃作戦を練った。自ら突撃騎兵隊を率いて包囲を突破し、西南の山沿いに進んで黒山の援軍と合流し、キ州を制圧して袁紹の背後を断とうというのである。
 だが長史の関靖はこれに反対した。
「今や我が軍の将兵はガタガタになっております。それでも何とか持ちこたえているのは、将兵が自分の家族を案じる一心からで、さればこそ将軍を主君と仰いでいるのです。このままじっと動かずに守りを固めていれば、袁紹は必ず引き上げる事でしょう。そうなれば、再び態勢を立て直す事もできます。今、将軍がここを見捨てて出撃されれば、易京はたちまち危機に瀕する事でしょう。本拠を失い、一人荒野に残されては、将軍とて何が出来ましょう。」
 こうして公孫サンは出撃を取りやめ、さらなる篭城を覚悟した。ちなみにこ関靖という人物は、計略を立てるような人物ではなく、上にはへつらい…とあまり良くは書かれていない。しかし、公孫サンはなぜか彼を特に信頼していたとある。

 公孫サンは、援軍の到着次第、城の内外が呼応して、袁紹軍を攻撃しようと考えた。そこで密かに息子の公孫続に手紙を持たせ、黒山賊の首領・張燕の元に向け出発させた。そこには、あらかじめ期日を決め、その日に援軍が到着したら、狼煙を上げるように知らせるよう、書かれていた。ところがこの手紙が袁紹軍の手に渡ってしまう。袁紹は陳琳にその文章を書き直させて送り、日を待って密書に書かれている通りに狼煙を上げる。
「援軍来たる!」
 公孫サンはいよいよ満を持して打って出た。しかし当然これは袁紹軍の罠。そこら中から伏兵が出てきて、公孫サンの軍は散々に壊滅させられた。公孫サン自身は命からがら城に戻り、また守りを固めた。
 この機会を逃さずと、袁紹はたくさんの攻撃部隊を編成し、それぞれに地下道を掘り進ませた。城内の櫓の下に至ると、今度は上へ向けて掘っていき、支柱を立てて掘り進めては木を繋いでいった。やがて土台の半分まで空洞にしたら支柱に火を放ち、支柱が焼け落ちると、櫓はぐらりと倒れたという。こうして次第に袁紹軍は本陣へと近づいていった。やがて、敗北を悟った公孫サンは、追い詰められ、妻子を自ら皆殺しにし、自害した。武将の関靖も
「君子は人を危機に陥らせた時は、必ず自分も運命を共にするものだ。どうして私一人が生きながらえようか。」
と言って、馬に乗り、袁紹軍に斬り込んで、戦死した。袁紹は彼らの首をことごとく許に送り届けたという。

 こうして河北を統一した袁紹は、広大で肥大な土地と、何十万という将兵を手にし、覇業達成の第一候補に名乗りを挙げる事になった。しかし少し前まで、『二袁』と称された二大勢力の片方・袁術はついに追い詰められ、悪逆・董卓を暗殺した天下の豪傑・呂布も敗れ去ろうとしていた。どれも相手は曹操孟徳。袁紹とは昔馴染みの中であり、ライバルの存在がいよいよ両者にとって、邪魔な存在になりつつあった。

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実録!河北統一戦線