張飛の修行時代
情報提供者:元歎サン


 張飛が十五歳の時両親が亡くなった。戦乱の時代の将来を考えて、やはり武術を身につけるのが一番とおもい、故郷のタク県を出て方々をめぐり、優れた武術の師をさがしていた。
 ある日、鶏公山の下、古刹の前に一人の練武の老人をみつけた。老人は童顔鶴髪、壮健敏捷、目を見張るような拳法を鍛錬し終えると、不思議な事が起こった。老人は寺の前の重い石を持って空中に飛び上がり、鳥のように飛翔していた。そしてほどなく軽く地面に降り立った。
 「ああ、仙人だ!」張飛はすぐに老人の前にひざまづき「ぜひ先生の弟子にしてください」と頼んだ。しかし老人は断った。それでも張飛は「ぜひに!」といってそこを動かない。
 一日、二日、三日……老人は張飛のねばり強さ誠意を感じて弟子いりを認めた。翌日、老人はこう命じた。「寺の西側にある六四〇個の石を寺の東側に運びなさい」石はとても重くて、全部の石を運び終えるのに三ヵ月もかかった。
 次は拳法を教えてもらえるとおもったが、次の日老人は命じた。「あの石を元の場所に戻しなさい。しかし今度はあまり手を使わないで、なるべく足でやりなさい」。張飛は腹が立った。けれども未だに拳法の教えを受けていないから、辛抱して、毎日足を使って石を運んだ。その後、老人はまたまた同じ石の運搬を命じた。それでも今度はおよそ一ヵ月余りで運び終えた。しかし、石運びの最後の日に、張飛は堪忍袋の緒が切れた。
「このじじい、どうして武術を教えもしないで、毎日毎日、石運びばかりさせているのだろう。もうやめた!」
 本当に最後になった大きな石の塊を持ち上げて、おもいっきり放り投げた。ところが、びっくり仰天! あんな重い石が、数十メートルも飛んだ。とつぜん張飛は老人の行為を納得した。これまでの毎日は、まずは力をつけるための鍛錬だったのだ、と。それからは、熱心に老人が様々な拳法を教えた。三年後、張飛は武術全般を会得した。そして、特別な力持ちになった。


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