大義なき正義


 呂布の自分勝手なやり方に怒ったのは当然袁術だ。袁術は韓セン・楊奉と連合した上で、配下の張勲に命じ、呂布を攻撃させた。呂布は、袁術との破談を勧めた陳珪を詰問し
「袁術が攻めてきたのは、お前のせいだ。どうしてくれる?」
 と問うた。陳珪は動じず、
「韓セン・楊奉と袁術は、即席の寄せ集めに過ぎません。長くこの関係を維持するのは難しいでしょう」
 と語った。呂布はこの言葉を聞き入れ、使者を韓セン・楊奉に送り、内通の誘いをかけた。この二人は、皇帝を連れ、董卓の下から逃げた張本人であり、呂布は董卓を討った自分と同じ評価だととし、今後の面倒をも約束した。これに二人は乗った。呂布が軍勢を連れて張勲の陣から百歩の位置に近づくと、両軍が一斉に裏切り、十数人の諸将の首を挙げ、死傷者は無数にあがったという。呂布は韓セン・楊奉の両軍と共に、袁術の本拠地・寿春までこれを追い、立て篭もった袁術を散々に馬鹿にし、下ヒに帰ったという。袁術のダメージは計り知れなかった。

 さて、曹操と劉備に目を向けてみよう。劉備を迎え入れた曹操に程イクは
「劉備はずば抜けた能力の持ち主、しかも人心掌握術にもたけてます。いつまでも将軍の風下に立っているような男ではありません。今のうちに始末するべきです」
 と進言している。しかし曹操は
「あれだけの男を殺して、天下の人心を失うのは得策ではない」
 とこれを退け、手厚くもてなした。その上で自分は苑の張繍討伐に出たが、ここでは大敗を喫し、実子の曹昂と懐刀の典イを失うという痛手を負った。意気消沈のまま許に帰った曹操に待っていたのは、袁術が皇帝を名乗り始めたという情報だった。
 さらに袁術は目の上のたんこぶ的存在の曹操を討つべく陳留に兵を進めた。しかし曹操は休む間もなく、東に兵を進めたため、袁術は恐れ将兵を置き去りにし、逃げた。曹操は橋ズイ・李豊・梁綱・楽就といった武将達をたちまちに破り、全員を切り殺した。
 許都に凱旋帰国した曹操は返す刀で、曹洪を駐屯させていた対張繍の前線へ向かい、張繍とその後ろで手引きした劉表の軍を蹴散らした。しかしここで袁紹が南征してくるという情報が入り、一旦許都に引き返している。ちなみに張繍はこのすぐ後に投降している。いよいよ曹操が東に目を向ける時が来た。

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実録!曹操の呂布退治