孫堅は再び軍を整え陽人へと迫った。
董卓軍は孫堅を討つべく胡軫を大将・副将に呂布という布陣で迎え撃っている。しかしこの人材配置は失敗だった。胡軫はせっかちな性格でこの戦いは孫堅さえ倒せば終わると意気込んで董卓から受けた指令を無視して強行軍で孫堅に迫った。それに対して十分な腹ごしらえもさせてもらえなかった兵士たちの不満が溜まっていく。そこに副将があの呂布である。
呂布にしてみれば自分が胡軫の下に付けられたのが不満で仕方ない。呂布は兵士たちと共謀して胡軫を失敗させようと画策する。胡軫に偽の情報を流して守備体制の整った孫堅の軍営に疲れ切った兵士で突入させた上、孫堅軍が総攻撃に転じたとさらに偽情報を胡軫に送ったのである。胡軫は呂布の偽情報に踊らされた挙句、何もしないまま帰還せざるを得なくなったのである。
孫堅はこういった敵の内部崩壊も手伝って、この戦いで大勝利を挙げ、敵将の猛将・華雄を討ち取るという、成果を挙げている。
この時、ある人が孫堅と袁術を離間させようとしたので、袁術は疑惑を抱き、軍糧を供給してやらなかった。孫堅は百里余りある道を休みなく走り続け、自ら袁術の南陽まで行くと
「私が身を投げ出しているのは、上は国家の為、下は将軍の仇を討たんとする為です。私と董卓には個人的な恨みはありません。しかるに将軍は私を疑おうとするのですか?」
と一喝した。袁術は恥ずかしく思い、すぐに兵糧を用意したという。
董卓はそんな孫堅の快進撃に恐れを抱き、懐柔策を取ろうとした。
しかし、孫堅は董卓の使者に向かって
「董卓は天に背いて非道であり、王室を転覆させようとしている。いま汝の三族を皆殺しにして四海掲示してやらねば、私は死んでも死に切れない。どうしてお前らと和親などしようか?」
とこれを一蹴した。そして再び進軍を開始し、洛陽まで90里のところまで来た。しかし、董卓の暴挙は孫堅のさらに上を行った。何と洛陽を焼き払い、住民もろとも長安に遷都してしまったのだ。焼け野原の洛陽に上洛した孫堅は朝廷らの墓を修復し、整備した後失意のうちに洛陽を後にしたのだ。
孫堅の武勇とは別に反董卓連合は董卓に『烏合の衆』呼ばわりされても動く軍はなかった。次は彼らの動きを追ってみよう。