曹操が袁紹と対峙する前、劉備と同じかあるいはそれ以上に警戒する人物がいた。江東の小覇王・孫策その人である。
孫策は父・孫堅の後を継ぎ、親譲りの勇猛さで次から次に近隣の諸国を力づくで手中に収め、袁術が皇帝を自称したのを機に独立。袁術が死ぬと、さらに瞬く勢いで江東一帯に一大勢力を築いた。曹操としては北方の袁紹と雌雄を決する為に、南の孫策は邪魔以外の何者でもなかったのだ。さしあたって曹操は懐柔策を取った。弟の娘を孫策の末弟の孫匡に嫁がせ、さらにわが子の曹章の嫁に孫策の従兄弟の孫ホンの娘を迎えた。同時に実弟の孫権を茂才(官僚候補)に推挙してみせた。しかし曹操の心中は穏やかではなく、
「狂犬相手では、喧嘩にならん」
と愚痴をこぼしていたという。官途で袁紹と対峙していた最中も、曹操は孫策の動向を注意していた。事実、孫策は許都を襲って、献帝を迎えようと密かに出撃態勢を整え、諸将を各部署に配置していた。この一方が曹操軍に伝わると、将兵は一気に浮き足立ったという。しかし、従軍していた郭嘉は動じることなく、こう語った。
「孫策は江東を併呑したばかり。彼に殺された英雄豪傑の部下には、命を捨てても報復せんとする者も多い。にも関わらず、孫策は彼らを甘く見て全く無防備。百万の兵を従えようと、一人荒野を行くに等しい。刺客に不意を突かれたら、ひとたまりもあるまい。こう見てくると、孫策は必ず匹夫の手にかかって殺されよう」
まさに神がかり的な予言とも言うべき、郭嘉のこの進言によって、兵達は落ち着き、長江を渡ることなくこの予言どおりに孫策は許貢の刺客によって殺されている。
一方、曹仁に敗れた劉備は袁紹の元に逃げ帰ると、ここで荊州牧の劉表と同盟を結ぶよう進言している。しかしこれは袁紹を見限った劉備が、それにかこつけて荊州へ行き、袁紹の元を離れる算段であった。そうとも知らずに袁紹はこれを許し、さらにまたも兵を与えた。これで劉備の軍は数千まで膨れ上がったという。曹操は劉備が再度南下したのを知ると、蔡陽を送ってこれを討とうとした。しかしここは劉備軍が返り討ちにしている。このような流れで、小競り合いを繰り返しながら、持久戦と思われた官渡の戦いは続いていた。
しかし10月、一気に戦局は動き始めた。
長期戦を覚悟し始めた袁紹は、不足がちな兵糧を補給する為に改めて輸送隊を陣中まで派遣させる手はずを整えた。袁紹は淳于瓊ら五人の将に計一万の兵を与えこれを監督・護送させた。沮授はここでも
「別働隊を派遣し、敵の略奪から輸送路を守るべきです」
と進言したが、袁紹は取り合わなかった。
そして決定的な投降劇が起きる。袁紹軍・許攸が、袁紹の処遇に不満を抱き投降してきたのだ。この一報を聞いた曹操は裸足のまま飛び出し、満面の笑みで迎え入れたと記してある。以下、曹操と許攸のやり取り
許「今兵糧はいかほど残ってますか?」
曹「一年分はたっぷりある」
許「ご冗談を。どうか本当の所を教えて下さい」
曹「半年は支えられる」
許「いい加減な事を…袁紹に勝ちたくないのですか?」
曹「すまん。ちょっとふざけてみた。実は後一ヶ月しかない。どうすればいい?」
許「これだけの軍勢でよく戦っておられるものの、援軍もなく、食糧もあと僅かとあっては真に危うい限りです。今、袁紹の輸送車一万余台が烏巣のあたりに集結してます。軽装の機動部隊でここを急襲すれば、三日も持たずに袁紹を破る事ができましょうぞ」