激突!官渡の攻防戦


数で圧倒的に上回る袁紹軍は一気に勝負を決しようと、黄河の砂丘に東西数十里に渡り陣を展開し、横に連ねた兵達を一気に前進させた。この前にも沮授は袁紹を諌めている。
「我が軍は数で上回っているものの、勇猛さでは一歩譲ります。一方敵は兵糧に乏しく、物量作戦では我が方に及びません。ですから、敵にとっては短期決戦が有利、我が軍にとっては持久戦が有利です。ここはじっくりと腰をすえ、敵を消耗させるべきです」
また許攸もこう進言した。
「ここで曹操を戦闘を仕掛けてはいけません。軍勢を分散させて、睨み合いを続け、別の道を進んで天子をお迎えするのです。そうすればたちまちに勝負は決するでしょう」
しかし袁紹はこのどれも聞き入れず、
「いや、すぐに曹操を包囲してやっつけるのだ」
と言ったという。

曹操軍は軍を分散させ、よく戦ったが、この戦いでは散々に破れ、少ない兵の2〜3割が死傷する有様だったという。袁紹はさらに軍を進めて官渡に迫る。攻撃に移る前にまず土の山を築き、地下道を掘って前進しようとした。対抗した曹操軍も同じものを作ってこれに備える。次第に劣勢に立たされる曹操軍はその後、陣営深く引きこもって抵抗を続けた。これに対して袁紹軍は高い櫓を組み、土の山を築いて矢の雨を降らせた。これには曹操軍も手の施しようがなく、盾の下に身を縮めているしかなかった。しかし、やがて曹操側は発石車を用意し、これを駆使して敵の物見櫓を次々に破壊した。袁紹の兵士はこれを『霹靂車』と呼んで恐れたという。それではと、袁紹軍は地下道を掘り進めて本営を襲う作戦に出た。曹操軍はこれに対して延々と堀を掘って、敵の意図を砕いた。
曹操は荀攸の進言を受け別働隊を準備し、これを徐晃に率いさせ袁紹軍の輸送車を襲撃させた。徐晃は敵を散々に蹴散らして兵糧を焼き払った。この様な状態が延々と続き、戦は長期戦の形相を呈してきた。すると数の少ない曹操軍では兵達に疲弊が目立ち始め、袁紹側に寝返るものも増え、兵糧も少なくなってきた。

実はこの頃、曹操は許都に撤退し、敵を誘い込む作戦を考え、許都を守る荀イクに向けて、相談の使者を送っている。これに対して荀イクはこう答えた。
「今兵糧が少なくなったとはいえ、かつて項羽と劉邦が対峙した時ほどでもありますまい。当時項羽も劉邦も苦しみながら決して先に撤退しようとはしませんでした。先に退いた方が勢いが鈍ると承知していたからです。これまで将軍は十分の一の兵力で拠点を守り抜き、敵の喉仏を押さえて、半年間も進出を許しませんでした。今敵の勢いは衰えを見せております。きっと何かの変化が起きましょう。奇策を用いる好機です。機を逃してはいけません」
曹操はこの進言で撤退を思いとどまり、やがてこの戦を左右させる投降劇が起きる事になる。まさに荀イクの言う通りだった。
一方、袁紹軍では曹操軍を後方からも遊撃させようと、策を練っていた。汝南では黄巾の徒である劉ヘキを寝返らせ、劉備に兵を与え許都周辺のゲリラ活動を補佐させた。曹操は曹仁に騎兵を与え、曹仁もこの期待に応え、劉備軍を圧倒。さらに救援に来た袁紹軍の韓荀も破り、これに懲りた袁紹はこの後二度と別働隊を派遣しなくなった。これで曹操は対袁紹に全精力をつぎ込める…しかし実際はもう一人虎視眈々と中原を狙っている人物に曹操は気づいていた。

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実録!官渡の戦い