A荊州刺史・劉表
この頃の荊州について、話をしておこう。
荊州を治めていたのはご存知、劉表景升。当時は孫策が飛ぶ鳥を落とす勢いで快進撃を続けていたが、許虞の息子と刺客によって命を落とし、荊州は事なきを得た。曹操と袁紹が官途で対峙していた時、袁紹は使者をよこして援軍を求めてきた。劉表はこれに応諾したが、派兵はせずに天下がどう動くか静観を決め込んだ。そんな中、従事中郎の韓嵩と別駕の劉先が忠告した。
「豪族同士が争い、両雄が互いに譲らずにいる今、天下の重心は将軍にあります。将軍にもし大事を成す気持ちがおありなら、彼らの疲れに乗るべきです。その気がないのなら、どちらに従うか決めるほかないでしょう。将軍は今、十万の兵を抱えて、もっぱら様子をみるばかり、優れた人物を見ても応援する気はなく、また求められながら和睦に動こうともしない。これでは両者の恨みが将軍に集中するばかりです。中立を保とうとしても駄目です。才知に溢れ、事理に通じた曹操の事、天下の賢者・俊傑は続々と彼に帰順してます。その勢いから見て袁紹を滅ぼす事は必定。その後に軍勢を長江・漢水に向けられれば、将軍はおそらくこれに対抗できないでしょう。将軍の為をはかるならば、この際荊州を率いて曹操に帰服されるのが上策。そうすれば曹操は将軍に恩義を感じるに違いなく、将軍はいつまでも安泰を保ち、子孫に伝える事が出来る。これこそ万全の策であります」
大将のカイ越も同じく勧めたが、劉表は散々に躊躇った挙句に韓嵩を曹操の元に送り、実情を探らせた。
さて、一方の曹操は、劉表に対して何か策を練っていたのか?実は、曹操は彼に対して大した策を練っていない。それだけ劉表という人物を危険だと判断していなかったという事か。ではなぜ曹操は大打撃を与えた袁紹軍を追わずに曹操自身許都に戻って来たのか?実はこれ以前に袁紹は死亡し、曹操軍は一気にけりをつけようと色めき立っていた。これに待ったをかけたのは他でもない、郭嘉の助言だった。