G人民が第一


 さて、劉備の方は、いよいよ近づいてきた曹操の大軍に何も気が付かないまま、襄陽の出城である樊城に駐屯していた。劉備軍が曹操軍の南下に気が付いたのは、樊城のすぐ隣にある宛まで進出してきた時だった。劉備は急遽、撤退を決め、襄陽まで退こうとしたが、劉ソウは既に降伏の使者を送ったという。漢水を渡り、襄陽郊外に着いた頃、諸葛亮が劉備に進言した。
「今ここで一気に攻め込みましょう。劉ソウを追い払えば、荊州はわがものですぞ」
 しかし劉備はこれを聞き入れず、そればかりか城門の下に馬を止め、
「劉ソウ殿に一言、お別れを申したい」
と叫んだという。もちろん劉ソウが姿を見せる事はなかった。それどころか、恐怖のあまり席を立つことも出来なかったとある。また、劉備は間近に敵が迫っているのを知りながら、わざわざ劉表の墓に立ち寄って別れを告げ、涙を流した(略典)ともある。そんな劉備の姿を見た、劉ソウの側近の者や襄陽の人民は、劉備の人徳を慕って、続々と南下する劉備軍の後を追ってきた。こうしてひたすら南下を続けてきた劉備軍は当陽県の県境に近づいた頃には、その数十余万、荷車が数千輌という大軍に膨れ上がっていったのだ。こうなると身動きが取れない。いくら急いでも日に十数里(五〜六キロ)しか進めないという有様だったという。

 見かねた劉備は関羽に命じ、数船艘の船を用意させ、関羽に
「私は陸路で行くから、お前達は江陵で待っていてくれ」
と約束した。それを見た部下の一人が、
「一刻も早く江陵に行かなければならないのは我々の方です。今、ここには人間は無数にいますが、武装した者はごく僅かです。これでもし、曹操軍に追いつかれたら、ひとたまりもありませんぞ」
 しかし劉備は
「何を言うか!大業を成すには、何よりも人民が第一。今、これだけの人々が私を慕ってきてくれてるのだ。それをむざむざと見捨てていけるか」
 信義をより一層明らかにし、道義のために行動する人々に心を寄せれば、共に敗北するのも仕方ないとまで兵士に考えさせた、劉備の言動だった。しかし、実際に危機はすぐそこまで迫っていた。


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