陳宮謀叛と名参謀達


 張バクには張超という弟がいた。その張超が曹操の腹心中の腹心であった陳宮をはじめ、許シ・王カイらと反乱を起こしたのである。 陳宮は張バクに向かって、曹操がいない今こそ呂布を使って天下に名乗りを上げるべしと説き、張バクもついにこの誘いに乗ったのだ。
 張バクは曹操が陳宮に残した軍隊を東に移動させ、呂布をエン州の牧に任命し、濮陽を本拠地とした。曹操はこの遠征の際、本拠地のケン城に荀イクと程イクを残していた。張バクは使者を荀イクに出し、
「呂将軍が陶謙討伐に加勢するために来られました。早急に兵糧を供給願いたい」
 と申し出た。しかし荀イクはこれを裏切りだと見抜き、東郡太守の夏候惇を呼び寄せて、防備を固めた。しかしエン州の各県・郡は呂布の名を聞いて、一斉に張バク側に寝返り、瞬く間に曹操軍は追い詰められていった。ケン城に駆けつけた夏候惇はその夜のうちに謀反に加担しようとした数十人を処刑し、徹底抗戦の構えを見せたが、戦況はあまりにも曹軍に不利だった。
 そこで荀イクは程イクに
「今やエン州はこぞって反旗を翻し、残すところは三城だけ。守りを固めなければ、三城は持ちこたえられない。君には人望がある。郷里の東阿に戻って説得に当たって欲しい」
 と事態の打開を託した。程なく程イクは旅立ち、県令のキン允と面会した。程イクは
「智者たるもの、ここで選択を誤ってはいけません。選んだ主君次第で栄えるか滅びるか決まってしまうのです。謀反した陳宮は呂布を迎え入れ、百城こぞって呼応しました。成功したかのように見えますが、あなたも呂布という男をご存知でしょう。まさしく匹夫の勇に過ぎません。成り行きで呂布を担いだものの主従関係がうまくいくはずがありません。
 曹操殿は天が下されたお方です。ここで君が城を死守され、私が東阿を守り抜けば、歴代の英雄と並ぶ功績を打ち立てられますぞ。どうかとくとお考え下され」
 と説得した。実はこの時、キン允は家族全てを呂布に人質として取られていた。しかしキン允は涙を流しながら、
「もう迷う事はありません」
 ときっぱりと言い、防備を固めた。程イクはは自ら別働隊を派遣して倉亭の渡し場に陣を構え、陳宮が渡河出来ないように呂布軍の動きを止めた。こうして曹操本軍が帰還するまで、何とか三城を守り抜いたのである。

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実録!曹操の呂布退治