帰還した曹操は程イクの手を握り締めながら
「君の働きがなければ、わしの帰る所はなくなっていたであろう」
と絶賛した。
一方呂布の方はケン城を包囲していたが、荀イクが守りを固めていた為、どうしても攻略できずにいた。そんな時曹操帰還の噂を耳にし、ついに諦めて本拠地の濮陽に帰っている。それを聞いた曹操は
「呂布め、エン州を手に入れたのは見事だったが、濮陽に退くとは馬鹿な奴。東に進んで街道を断ち、我が軍が帰還するのを待ち伏せれば良いものを。こんな知恵もないとは」
と馬鹿にしたという。そしてただちに濮陽攻略の軍を挙げた。これが事実上曹操Vs呂布の第一Rとなる。
実はこの時曹操は濮陽の豪族・田氏と内通し、城内の東門を開門させている。そして東門に火を放ち、引き返す意思がない事を示した。しかし曹操の予想以上に、敵は屈強で、青洲兵は呂布の騎馬隊に散々に蹴散らされ、曹操軍の陣形はたちまちに崩壊した。結果曹操も左手に火傷を負い、一旦は敵の騎兵に捕まっている。だが敵はそれが曹操だと気づかずに
「曹操はどこだ」
と聞いてきた。とっさに曹操は目に入った赤毛の馬を差し
「あの赤毛の馬がそうだ」
と言った。騎兵は曹操を放し、命からがら陣地に戻る事が出来た。
本陣に帰還した曹操は平静を装い、陣中を慰労して回った上で、改めて攻略の手はずを整えた。争いは百日にも及び、両軍は決め手に欠いたまま戦局は混沌としてきた。しかしここで意外な敵が両陣営を襲う。大量のイナゴである。付近は空前の飢饉に見舞われ、ついに両軍の兵糧は底をつき、双方共に撤退を余儀なくされた。曹操は9月にケン城に帰還したが、呂布は裏切りに遭い、さらに東の山陽軍まで軍を退いた。
この頃袁紹から曹操に連携の申し出がある。エン州を失った上にイナゴの被害に遭った曹操はこの条件を飲もうとしたが、程イクは
「恐れながら将軍は窮地に立たされ、弱気の虫に取り付かれております。そうでないなら、どうしてこんな浅はかな事をお考えになります。エン州は荒されましたが、我等にはまだ三城と一万余の精鋭がいます。将軍が類まれな武勇を発揮され、荀イクや私がお力添えをすれば、天下統一の大業も必ずや成就いたしましょう。何卒、考え直しを」
と進言し曹操を勇気付けた。