濮陽包囲戦


 この濮陽包囲戦では有名な話がいくつかある。

 まずは典韋の武勇伝。呂布の本拠地とは別の陣営が手薄と睨んだ曹操はそこに夜襲をかけ、夜明け前にこれを攻め落とした。ところが朝方に引き上げようとした矢先、呂布率いる救援部隊が駆けつけ、白兵戦となったのだ。その戦いは夕暮れまで続いた。曹操はそこで突撃隊を募り、事態の打開を狙った。真っ先に名乗りを挙げた典韋は志願した突撃隊数十名と共に敵陣に突撃した。その際
「敵が十歩のとこまで迫ってきたら教えろ」
 と部下に言い、十歩だと知らせると、
「五歩で知らせよ」
 と言った。恐怖に駆られた部下が「来た!」と叫ぶと、典韋は十数本の戟を抱え、一人敵の中に雄たけびを上げて突っ込んだ。戟に触れたものはばたばたと薙ぎ倒され、呂布の軍勢は総崩れとなった。こして曹操軍はようやく引き上げる事ができたのである。ちなみにこの働きが元で彼は親衛隊の隊長を務めることになったのだ。

 またこんな話がある。夏候惇は荀イクの召集を受け、ケン城に入ろうとした途中で呂布の軍勢と出くわし、一戦を交えている。夏候惇はこの時、輸送車を敵に奪われたが、何とか敵軍を敗走させ、さらに敵武将が何人か投降してきた。しかしこの投降は偽りで、逆に夏候惇を人質に取り、財宝を要求してきた。その時、夏候惇配下の武将・韓浩が、混乱しつつあった兵士を落ち着かせた上、夏候惇を捕らえている者達に向かって、怒鳴りつけた。
「逆賊共、よくも大将軍を捕らえたな。生きて帰れると思うな!このわしは命によって賊を討伐しているのだ。一将軍の命を救う為にお前らの勝手を見逃す事はせぬぞ!」
 さらに夏候惇に向かって涙ながらに
「国法ゆえ、お命にかまっている訳にはいかないのです」
 そう言うと、すぐに兵を呼び寄せ、敵の中に切り込んでいった。彼らは恐れおののき、地面にひれ伏して許しを乞うたが、韓浩は一人残らず切り捨てたという。この話を後で聞いた曹操は
「韓浩のやり方は万世に通用する法とすべきだ」
 と賞賛し、このやり方をあるべき人質事件の対処法として、法に記している。
さらに夏候惇が左目を負傷したのは、この濮陽包囲戦の中である。正史には流れ矢に当たって…とだけ記されているが演義にあるような、その目を食べたとか、親から貰った…という様な記述はない。

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実録!曹操の呂布退治